モリエンテスのプロフィール


名前
Fernando Morientes Sanchez
フェルナンド・モリエンテス・サンチェス

ニックネーム

Moro,Mori

出身
Caceres(カセレス)→Sonceca(ソンセカ)

家族
Victoria夫人、子供はFernando(長男) と Lucia(長女)

誕生日
05/04/1976

身長・体重
182-6cm・78kgくらい

ポジション
Delantero(FW)

すぺ代表にて。お前ら練習しろ!

クラブキャリア
1993-94 : Albacete 2試合  -
1994-95 : Albacete 20試合 5得点
1995-96 : Real Zaragoza 33試合 15得点
1996-97 : Real Zaragoza 37試合 15得点
1997-98 : Real Madrid 45試合 16得点
1998-99 : Real Madrid 42試合 24得点
1999-00 : Real Madrid 48試合 18得点
2000-01 : Real Madrid 31試合 10得点
2001-02 : Real Madrid 50試合 21得点
2002-03 : Real Madrid 28試合 6得点
2003-04 : AS Monaco 40試合19得点
2004-05 : Real Madrid -

リーガデビュー
07/11/1993(v Tenerife)

リーガ初ゴール
23/10/1994(v Racing)

A代表デビュー
25/03/1998(v Sweden)

好きなもの
歌 : Queen,Spanish Pop
映画 : アドベンチャー・歴史もののアクションが好き。
ひとつあげるなら"The last of the Mohicans"
車 : BMW と Cherokee
料理 : パスタ、古典的なスペイン料理

一番苦い試合
フランスW杯でのBulgaria戦(韓国戦に変わってないことを祈る)

一番苦い思い出
サッカー選手としてはやはり怪我。またユーロ2000で監督に自分ではなくウルサイスとアルフォンソが選ばれたこと

印象深いゴール
ValenciaとのCL決勝戦での先制点


奥様と子供達。キュート!


モリオおひしゃるを参考にしたバイオグラフィー


むかし

カセレスという街で生まれたが、5歳の時トレド近くのソンセカという街に引っ越した。
父親の職業(Civil Guard って警察官?)柄引越しはよくあることだった。
子供の頃からボールを蹴っていた。
サッカー選手になりたい、という夢はあったが親に反対されて勉強をおろそかにするな、と言われていた。

アルバセテジュニア

サッカーが好きだから地元のチームでプレーを続けていたところ、アルバセテが注目してきた。
ここらへんからサッカーについて真剣に考えるようになった。
アルバセテの近くに住みサッカー漬けになってからは大変だった。

デビュー

アルバセテでの1部デビューは17歳の時、1993年11月3日、テネリフェ戦だった。
Alexanderの代わりにフィールドに飛び込んだ。
この時は、ベニート・フローロ監督に育てられた。

移籍

アルバセテからサラゴサに1995年に移籍した。
ビクトル・フェルナンデス監督の元で29試合中13ゴールを決めた。

スペイン代表

サラゴサでの活躍が認められU-21スペイン代表に召集。
1996年バルセロナでのU-21ヨーロッパチャンピオンシップファイナルで準優勝した。
アトランタオリンピックにも出場したが、アルゼンチン(優勝チーム)に4-0で破れた。

移籍パート2

サラゴサでの96-97シーズンでは15ゴールをあげた。
そして当時カペッロ監督が率いていたレアル・マドリーからオファーがあり移籍した。

レアルマドリーでのスタート

カペッロ監督の後任、ユップ・ハインケス監督にスーケルの代わりとなる
センターフォワードとして起用された。33試合中12ゴールというまあまあのシーズン。

A代表デビュー

クラブでの活躍が認められ1998年3月25日、フランスワールドカップ前のスウェーデンとの親善試合で
A代表デビューした。2ゴールを決め、4-0で勝利した。

1998年フランスワールドカップ

2試合に出場し2得点するも、チームは苦いグループリーグ敗退。

98-99シーズン

ワールドカップの失望の後のシーズンでは、19ゴールをあげた。(ラウルにつぐチーム2位)
ラウルが得点王を取ったにもかかわらず、チームはリーグでもチャンピオンズリーグでも
タイトルを取ることができなかった。
先シーズンにミヤトビッチとスーケルが移籍してしまったことが大きかった。
またトシャック監督は解任され、ヒディング監督の就任が決まった。

インターコンチネンタルカップ

チャンピオンズリーグをとった後、東京でインターコンチネンタルカップをかけてバスコ・ダ・ガマと対戦。
出番は無かったが、ラウルのセンセーショナルなゴールでトロフィーを取った。

99-00シーズン

多額の移籍金で同じポジションにアネルカさまがやってきた。
成績もイマイチだったので、心労か?と責められた。このシーズンから背番号は15から9に。
チャンピオンズリーグ決勝では、パリでバレンシアと対戦、3-0で勝利。
この時は先制点をあげることができて、それはイエロに捧げた。
彼は「今日君がゴールするだろう」と言ってくれていた。

ユーロ2000

最高の形でチャンピオンズリーグを終えた後、カマーチョ監督が自分を
ユーロ2000に呼んでくれる事を夢見ていた。しかし彼は、CFとしてウルサイスとアルフォンソを選んだ。
それが運命として受け止めるしかなかった。

00-01シーズン

怪我で出遅れたシーズンだった。またこの年はペレス会長の就任とライバルバルセロナから
フィーゴがやってきた年だった。
そしてチームは4年ぶり28回目のリーグ優勝を飾った。

インターコンチネンタルカップ

この年のインターコンチネンタルカップではアルゼンチンのボカ・ジュニアーズと対戦した。
試合早々にパレルモに2点を決められ、1点返したものの敗戦。
この試合では出場では後半に途中出場した。

01-02シーズン

ペレス会長の政策により、この年はユベントスからジダンがやってきた。
そしてまたもや怪我で出遅れてしまった年でもあった。
シーズン序盤は「ジダンがチームに機能していない」などという批判の声も多々あったが
彼の決勝のボレーシュートもあり、チャンピオンズリーグで優勝を決めた。

2002年日韓ワールドカップ

グループリーグを全勝して決勝トーナメント進出を決めるも
準決勝を前にして韓国にPK戦の末敗れた。
3ゴール決めたものの韓国戦でのゴール取り消しは苦い思い出になってしまった。

02-03シーズン

シーズン前にワールドカップで大活躍したロナウドがやってきた。
移籍の噂も囁かれたが残留を決意、試合への出場機会も減り長く苦しいシーズンが続いた。

03-04シーズン

期限ギリギリに、フランスリーグ昨シーズン2位のASモナコへのレンタル移籍を決意する。
モナコのチャンピオンズリーグ躍進に貢献。
準々決勝では皮肉にも所属先のレアル・マドリーと対戦することになり、これに勝利する。
結局チームは準優勝、自身は初のチャンピオンズリーグ得点王に輝く。

ユーロ2004

モナコでの活躍が実を結び、代表入り。
グループリーグ1、2戦ではスタメンに名を連ねギリシャ戦では1ゴール決めるものの
チームはまさかのグループリーグ敗退。

04-05シーズン

移籍をほのめかしてはいたものの、最終的にレアル・マドリーに残り
ラウル・ロナウドとポジションを争うことを決意する。



モリエンテスについて(偉い順)


モリエンテスはスゲー才能を持ったプレーヤーだよ。
アネルカさま 10/08/99 AS

"疾風のモリエンテス"は誰にも止められないよ。彼の復帰が僕らの大きな利益になるだろう。
彼とプレーすると僕はより好きなポジションに戻ることができるんだ。
ラウル 11/11/00 MARCA

モリエンテスは相手を攻撃する能力に長けている。
フィーゴ 24/08/00 AS